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「孤独な祝祭 佐々木忠次 バレエとオペラで世界と闘った日本人」の感想を書いてみました。




いろは
ミキコさん、佐々木忠次さんの本、貸してくれてありがとう。
こんなに凄い人が日本にいたんだね。
ミキコ
気に入ってくれたようでうれしい^^
わたしは既に読んだから、今日はその内容や感想を書いてみるね。

■目次

著者の追分日出子について


2016年の10月に追分日出子によって、文藝春秋から刊行されているノンフィクション書籍です。

著者は慶応義塾大学の文学部を卒業した後に週刊誌の記者を経て、1994年から雑誌「AERA」で「現代の肖像」という人物ルポルタージュの執筆を開始しました。

現代美術家から映画監督までありとあらゆるジャンルで活躍する、幅広い世代の人たちへのインタビューを続けています。

この本はバレエとオペラの世界で多大なる貢献をした、ひとりの興行師のエネルギッシュな生きざまに迫っていく評伝です。

本人ばかりではなく家族から仕事仲間に友人、更には絶縁状態にあった関係者への丹念かつ誠実性溢れる取材ぶりに引き込まれていきます。

次の生い立ちと経歴】〜本の感想も交えながら〜

画像引用:https://mainichi.jp/classic/articles/20160516/dde/018/200/043000c

佐々木忠次は1933年の2月3日に、当時はまだ東京都本郷区と呼ばれていた弥生町に生まれました。

この年に小林多喜二が治安維持法違反で逮捕・拷問死を遂げて、翌年には国際連盟を脱退するなど時代の流れは軍国主義へと向かっていきます。

佐々木が小学3年生になると太平洋戦争が勃発しますが、ひとりで市電に乗って浅草の国際劇場で映画鑑賞や歌劇の公演を楽しんでいたというおませなエピソードが微笑ましかったです。

国民学校では全校の男子児童が教師から坊主頭を強制されながら、佐々木だけは坊ちゃん刈りを貫き通すなど意外にも芯の強い一面も垣間見ることができました。

戦後に大学を卒業した後は実業家として成功を収めていた父親の反対を押し切って、エンターテインメントの世界へと足を踏み入れていきます。


舞台監督として活躍

佐々木が就職先として選択したのは、オペラ公演の制作を手掛ける京田進の音楽事務所でした。
戦時中の爆撃から辛うじて生き残った港区の映画館の中にある、コンクリート造りの簡素な建物です。

裸電球ひとつ灯った部屋の片隅で机に向かって次回公演の計画を練り上げていく、野心溢れる青年の姿が思い浮かんできます。

コーラスを担当する歌手にゴム底靴を履かせて音を立てないようにステージの上を歩かせるなど、そのアイデアの数々が斬新です。

舞台袖には衣装や小道具を出演者ごとに整理して並べて置くなど、周りへのさり気ない気配りには心温まるものがありました。
舞台監督として実績を積んでいく佐々木は、自らの劇団を立ち上げることに心惹かれていきます。

東京から世界へ

東京オリンピックで日本中が湧き上がる1964年、ひっそりと初団式を行ったのが佐々木忠次の「東京バレエ団」でした。

自分たちの練習場を持たないためにプリマドンナが大量の荷物を抱えて電車を乗り継ぎ、上野のリハーサル室から多摩川のスタジオへと移動するほどの涙ぐましい努力です。

お稽古ごとや身内の発表会に終わることのない、佐々木が目標とするプロフェッショナルなバレエ団の理想像も完成していきます。
これまでの日本のバレエ団のように、団員にチケットのノルマを課すこともありません。

プライベートでもヨーロッパに行き、パリのオペラ座での本場のパフォーマンスに感銘を受けた佐々木は、積極的に海外での巡業に乗り出していくのでした。

憧れの人と憧れの場所で共演

1986年に東京バレエ団は、パリ・オペラ座での公演を行います。
世界各国のバレエダンサーの憧れの地に、アジアから来た創立僅か20年程度のバレエ団が立つのは極めて異例です。

公演の演目となるのは、モーリス・ベジャールが東京バレエ団のために書き下ろした「ザ・カブキ」でした。

自分のバレエ団以外に作品を提供することを頑なに拒んできた、フランスの天才的な振り付け師でさえ突き動かしてしまう佐々木の情熱が伝わってきます。

如何なる相手に対しても物怖じすることなくブロークン・イングリッシュで渡り合う、その人柄が魅力的です。

稀代のカリスマが演出する「仮名手本忠臣蔵」を、日本人のバレリーナがバレエの聖地で披露する瞬間が圧巻でした。

佐々木忠次が残したもの

眩暈や足の痛みに悩まされながらも、佐々木は国境を越えて公演を続けていきます。

2007年に亡くなった盟友・ベジャールへ捧げた、ヴェルサイユ宮殿の中庭で敢行した追悼公演が感動的です。
奇しくもこの一大イベントが、佐々木にとっても最後の海外公演となってしまいました。

ミキコ
2016年の4月にこの世を去った「世界のササキ」からは、夢を追いかけることの素晴らしさを学ぶことができます。

バレエ経験者や愛好家だけではなく、海外への留学や起業を考えている方たちも是非この1冊を読んでみてくださいね^^

いろは
下のコミックは、佐々木忠次さんの生涯を桜沢エリカさんがマンガ化したものです。



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ABOUTこの記事をかいた人

こんにちは、ミキコです。 小学1年生〜高校2年生までバレエを習っていました。 一旦はやめたものの20代半ばで再開し、今は週3回レッスンを受けています。 バレエの面白さをもっと知ってもらうために、このブログを書いています。