森下洋子の経歴をていねいに調べてみました。




バレリーナ森下洋子の実力や凄さは万人の知るところです。
日本初の国際的活躍をしたプリマバレリーナでその美しさから「東洋の真珠」ともいわれました。

森下洋子のプロフィール
生年月日 1948年12月7日
出生地  広島県広島市江波(現中区江波)
身長   150cm
体重   38kg
主な受賞歴

21歳 芸術選奨新人賞(1971年)
26歳 ヴァルナ国際バレエコンクールで金賞(1974年)
30歳 芸術選奨(1978年)
37歳 日本芸術院賞・ローレンスオリヴェイ賞(1985年)
49歳 女性としては最年少で文化功労者に選出
63歳 高松宮殿下記念世界文化賞(2011年)

森下洋子の経歴。幼少期〜現在まで

森下洋子が踊っているところ
3歳でバレエを始めました。
きっかけは、生まれつき体が弱く何か運動をしたほうがよいとかかりつけの医師から勧められてたことです。

葉室潔からレッスンを受ける

家の前にあった幼稚園で葉室潔(はむろきよし)先生が主催するバレエ教室が行われていたのを知りレッスンを受けることにしました。

器用ではなかった森下洋子は教室で出来ないことを家で繰り返し練習することで自分のものにしていきました。

両親も惜しみない応援と励ましと称賛を与えます。
それもまた嬉しいことでした。

州和みち子に巡り合う

こうして幼少期にすっかりバレエのとりこになっていきその後葉室から州和みち子を紹介され技術、メンタル面を鍛えられます。

橘秋子のもとで学ぶ

広島市立江波小学校に入学した7歳のときに広島市公会堂で行われた橘秋子主催による橘バレエ学校の生徒による舞台をみてぜひあの教室で学びたいと両親に願います。

冬休みの数日間だけという予定で上京したのですが、結局小学1年生の3学期すべてを東京でレッスンを受けることになりました。

2年生になっても夏休みや冬休みの長い休みを利用してレッスンを受けるため東京に一人上京することになります。

当時時間にして広島から東京まで特急でも15時間以上かかり、急行列車では20時間以上、料金は東京大阪間だけで特急料金は最低でも1,470円かかっていました。

この当時大卒の公務員の初任給が7,650円という時代です。
とても親までついていけるはずもなく、小学生2年生一人での上京となります。

もちろん自宅に電話などまだない時代です。
東京から「ヨウコブジツイタ」の電報を受けとるまでの親の心配はいかばかりだったかと推し量るものがあります。

その後小学6年生で本格的に上京し橘秋子宅で住み込みでレッスンを受けるようになります。
そのころ少女漫画ではとりわけバレエものがよく題材として使われたこともあり、少女向けの雑誌のグラビアページを飾り日本全国の少女たちのあこがれの存在となっていきました。

バレエを続けながら武蔵野市立第一小学校から武蔵野市立第一中学、吉祥女子高等学校と進みます。

21歳になったとき故郷である広島の企業である東洋工業(現マツダ)の松田社長のサポートもあり、アメリカへ留学します。


松山樹子に教えを請う

翌年帰国、その年松山樹子主催の松山バレエ団の「白毛女」で感動し教えを請いたい旨を伝えましたが、二師にまみえることを良しとしなかった松山樹子によりその申し出は一度は見送られることになります。

さらに翌年の1971年恩師橘秋子が亡くなり、再度門をたたきようやく所属の許可が下りました。

松山バレエ団に所属後、強い勧めによりヴァルナ国際バレエコンクールに清水哲太郎と共に出場することになりました。
初めてのコンクール出場でなんと日本人初の金賞を受賞することになります。

体型のこともあり長く日本人にはバレエは無理だと世界でいわれ続けていましたが、その概念が取り払われた瞬間でもありました。
バレリーナ森下洋子の出現は、日本人が世界から見直されるきっかけにもなりました。

この金賞を機に世界のプリマを目指すことになります。
ヴァルナ国際バレエコンクールに一緒に出場した清水哲太郎と共にモナコ公国に森下は1年間、清水は2年間留学します。

清水哲太郎と結婚

1976年清水哲太郎が留学を終えるのをまって28歳で結婚します。
同じ年アメリカン・バレエ・シアターに招かれてついに世界デビューを果たします。

ルドルフ・ヌレエフのパートナーに抜擢される

1977年29歳でエリザベス戴冠25周年記念公演でルドルフ・ヌレエフのパートナーとして踊り、ロンドンデビューを飾ります。

ヌレエフは1963年ころから英国ロイヤル・バレエのゲストとして20年近くマーゴ・フォンテインとペアを組んで伝説のパートナーシップとまで言われていました。

そのヌレエフからパートナーとして抜擢されての公演でした。

1978年30歳のときにはヌレエフのパートナーであり、バレエの女王様と言われたマーゴ・フォンテインと共に世界ツアーも行っています。

パリ・オペラ座で主演で踊る

1981年33歳でパリ国立オペラに日本人として初めて出演しました。
1985年37歳でパリ・オペラ座の「くるみ割り人形」に主演として全幕で踊りました。

70歳近い今も現役!

2018年松山バレエ団は創設70周年を迎え2月に「白鳥の湖」を記念上演しました。
この作品は夫である清水哲太郎が1994年に新演出、振り付けをしたものです。

主演はもちろん森下洋子。
引退しないでずっと現役であり続け、今も尊敬と憧れをもって見られ続けています。

森下洋子関連書籍の紹介



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ABOUTこの記事をかいた人

こんにちは、ミキコです。 小学1年生〜高校2年生までバレエを習っていました。 一旦はやめたものの20代半ばで再開し、今は週3回レッスンを受けています。 バレエの面白さをもっと知ってもらうために、このブログを書いています。