小学校1年生の時から近くのバレエ教室でレッスンを始め、自分の体形についてコンプレックスを持ちながらも舞台という特別な空間から離れる事ができず、結局高校2年生まで通い続けました。
一旦はやめたものの20代半ばから、再びレッスンに通い、バレエが身近にある生活を楽しんでいます。
さて、今回はわたしの好きなバレエダンサーというお題で、世界的に有名なあの人について書きます。
■目次
わたしがウラジーミル・マラーホフを知ったきっかけ
確か、BSで放送されていた番組を母が録画してくれたのがきっかけだったと思います。
「アメリカン・バレエ・シアター スターの饗宴」という番組を見て、その演目の一つ「Remanso(レマンゾ)」を踊っていた男性ダンサーの一人、ウラジーミル・マラーホフの魅力に取りつかれてしまいました。
この番組は、当時のスターダンサーたちが、クラシックからコンテンポラリーまで幅広いレパートリーを披露するガラコンサート形式のプログラムでした。
他には、
- ジュリー・ケント
- イーサン・スティーフェル
- アレッサンドラ・フェリ
- アンヘル・コレーラ
- パロマ・ヘレーラ
彼らならではの素晴らしいパフォーマンスを踊りきっていて、唯一無二のプログラムでした。
バックステージでの出演者インタビューが各演目の合間に挿入されていたのも魅力的で、それぞれの演目についてそれを踊るダンサー目線からの解説が、とても勉強になりました。
ウラジーミル・マラーホフの略歴
ウクライナ出身のバレエダンサーで、現在は東京バレエ団のアーティスティックアドヴァイザーの肩書を持ちます。
その前は、世界に名高いベルリン国立バレエの芸術監督を10年間勤めていました。
ソ連支配下のウクライナに生まれ、4歳からバレエを踊っているそう。
ボリショイバレエ学校を卒業してからは、様々なバレエ団のプリンシパルを経験。
1995年、幅広いジャンルのレパートリーを網羅するアメリカン・バレエ・シアター(通称ABT)に魅了され、参加、すぐにプリンシパルとして正式に迎えられました。
当時のABTは、上のリストにも書きましたが、ジュリー・ケントやイーサン・スティーフェルなどのアメリカ人の他、イタリア生まれのアレッサンドラ・フェリ、スペイン生まれのアンヘル・コレーラなどのスターダンサー達が世界各国から集まるとてもユニークなカンパニーでした。
それまでのマラーホフの役柄といえば、もっぱら古典バレエの「王子様」役でした。
特に「白鳥の湖」のジークフリート王子や「ジゼル」のアルブレヒト役などはまさにはまり役で、その気品の中にある豊かな感情表現は世界中のバレエファンを魅了してきました。
しかし、ABTに入団後は、特にコンテンポラリー作品への取り組みが目立つようになりました。
わたしがBSで見た「Remanso(レマンゾ)」もその1つで、その後の彼の代表レパートリーとして、踊り継がれている作品です。
Remanso(レマンゾ)について
スペインの振付家ナチョ・ドゥアトの振付で、3人の男性がソロやデュエット、さらに全員でのアンサンブルを交互に踊りながら音楽を繋いでいく小品です。
舞台センターに大きな正方形の板(壁)があるだけで、他にはこれと言った舞台装置もなく、またダンサー達の衣装も黒いボディスーツのみというシンプルさです。
しかし、壁の使い方が本当に素晴らしく、ダンスだけでこんなにも演劇的な面白い事ができるんだと感心します。
ナチョ・ドゥアトの作品は、どれもとても音楽的に構成されている事が特徴なのですが、この作品に関してもそれは当てはまります。
ピアノソロのみで演奏される、これまたスペイン人の作曲家、エンリケ・グラナドスの「8 Valses poeticos(8つの詩的なワルツ)」の世界観を見事に表現しています。
そして、1番心動かされるのは、この全ての素晴らしい要素(音楽、振付、演出)を100パーセント理解し、それ以上の作品に仕上げている踊り手、特にマラーホフのダンスそのものです。
男性ダンサー特有の力強さやジャンプ力はそのままで、女性ダンサーしか表現できないような繊細な身体の隅々まで行き届いたコントロール力と、身体全体のしなやかさを併せ持っています。
まさに男女のいいとこ取りです。
そして何より、彼の音楽的性には脱帽します。
グラナドスの曲を演奏するピアニストとの息がぴったり合っていて、まるで踊りそのものが呼吸しているような感覚に陥ります。
古典バレエの王子役では、恐らくここまでのマラーホフの魅力を伝える事は出来なかったのではないかと思います。
ここまで読んでいただいて、この「Remanso」を見てみたいと思われた方は、上のYoutube動画を見てくださいね。
ウラジーミル・マラーホフの舞台を鑑賞するには?
今現在、彼が出演する公演は日本では予定されていません。
ただ、東京バレエ団のアーティスティックアドバイザーなので、近い将来、彼のダンスが日本でまた見られる日が来るかもしれませんね。
それでは、今回はこの辺で。