自国のファンみならず世界中の愛好家を熱狂させているアートパフォーマンス、ロシアンバレエをご存じですか?
『ボリショイ秘史 帝政期から現代までのロシア・バレエ』や『華麗なる「バレエ・リュス」と舞台芸術』などが面白かった方には特にXM口座開設おすすめです。
■目次
「バレエ王国ロシアへの道」基本データ
刊行年 | 2022年3月 |
出版社 | 東洋書店新社 |
著者 | 村山久美子 |
著者の村山さんは、舞台芸術史家として1980年代から大手新聞社や専門誌に舞踏評論を寄稿。
ハーバード大学大学院卒の経歴を活かして翻訳・通訳もこなしつつ、大学ではストリートダンスの実技を担当するなど多才な人物です。
ソ連崩壊後は芸術の分野においても東西の垣根がなくなり、その国ならではの作品が少なくなっていることを心配している村山さん。
そんなグローバル化が激しい今の時代だからこそ、見直すべき時代が来たということでしょう。
ロシア・バレエの伝統と魅力とは?
ロシア・バレエのはじめ
ルネッサンスといえば芸術の保護者メディチ家。
その中でも特に有名なのがフランス国王アンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシス。
ヴェルサイユ宮殿にもたらされたものがフランスの風土に根付いて、少しずつヨーロッパ各地へ。
ロシア・バレエとの違いにショックを受ける
豪華な演出に手のこんだ機械装置の使用、あくまでも国家の富や勢力の誇示のためのもので庶民にはまだまだ縁がありません。
西欧でこのバレエを見た当時のロシア大使や富裕層の旅行者たちが、相当にショックを受けたのは当然でしょう。
彼らによってサンクトペテルブルクにバレエ学校が創立されたのが1738年、貴族の師弟を中心にダンサーの養成も開始されました。
18世紀|ロシアのバレエ後進国からの飛躍
19世紀のはじめにロシア・バレエの指導者となり、その基盤の大部分を作り上げたのが振り付け師のシャルル=ルイ・ディドロです。
テクニックを見せるのではなくエモーションを観客に伝えること、音楽や美術が重要な要素になること。
優れた文学がバレエにとって格好の題材になることにも、いち早く着目していたというディドロ。
国民的なロマン主義作家アレクサンドル・プーシキンから、「いかなる詩人よりも詩情が豊か」と大絶賛されていたとか。
舞台装置の開発にも積極的に取り組んだディドロ、1795年初演の「ゼフィールとフローラ」では驚きのエピソードも。
ワイヤーで演者を吊って空中を飛んでいるように見せたというから、エンターテイナーの先駆けとも言えるかもしれません。
芝居がかったパントマイムよりも感情を込めた踊りを、おおげさな朗唱よりも自然の声を、おとぎ話よりも真実を…
ディドロの提唱するバレエ改革が息づいてきたロシア、海外から招聘したダンサーに頼らなくても公演ができるようになります。
その結果としてロシア人ダンサーのレベルがアップ、帝室バレエの団員数も一気に2倍に。
これまでは男性の踊り手が中心だったバレエ界にも、次々と新しい女性舞踏家が現れるのも必然ですね。
ゴテゴテとした派手な飾りを嫌ったという彼女たち、身に付けるのは軽やかな日常の服にシンプルなタイツだけ。
その筆頭がディドロの愛弟子でもあり、世界で初めてトウシューズで踊ったと名高いアヴドーチャ・イストーミナ。
彼女の素晴らしい飛翔力と度胸の良さは、「無重力のごとくふんわりと立つ」と称えられていました。
まさにロシア人ダンサーが世界の最高峰に昇りつめた瞬間でもあり、バレエが至高の芸術へとたどり着いた瞬間ではないでしょうか。
「バレエ王国ロシアへの道」まとめ
1980年代の後半にモスクワへの留学の経験があり、ボリショイ劇場のスタッフとは今でも交流が続いているという村山さん。
長年の念願がかなってこの本の出版に漕ぎつけた矢先に勃発した、プーチン政権のウクライナ侵攻には心を痛めています。
海外で活動するジャーナリストや科学者だけではなく、ロシア国内の多くのアーティストたちが戦争反対の署名運動を展開しているとのこと。
バレエに携わる芸術家たちが時の権力者に翻弄されてきたのは、今に始まったことではありません。
「政権の暴挙を批判しても、ロシアの美しいバレエには背を向ける訳にはいかない」とは、あとがきに替えて記された村山さんの力強いメッセージ。
苦難の歴史を乗り越えてきた国に1日も早い平和が訪れることを願いながら、読んでほしい1冊です。