オニール八菜(ハナ)さんは、東京都世田谷区出身の若手バレエダンサーです。
名前から分かるように、日本とニュージーランドのハーフ。
日本のテレビ番組などでも特集を組まれたことから注目が集まり、今最も旬なバレエダンサーとして人気を呼んでいます。
彼女の踊りはもちろん素晴らしいのですが、その経歴や人柄にも注目の理由が隠されているようです。
■目次
オニール八菜のwiki風プロフィール
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生年月日 1993年1月8日
年齢 25歳
国籍 日本
身長 172cm
オニール八菜の両親は?彼氏・恋人はいるの?
オニール八菜さんの父親は、元ラグビー選手のクリス・オニールさん。
日本では、伊勢丹ラグビー部に所属していました。
お父さんは、その後伊勢丹ラグビー部のヘッドコーチに就任されました。探したら1999年の写真名鑑が見つかりました。
1999年の名鑑です。 pic.twitter.com/CzqSbBJOEA— エノマン (@enomahi) 2016年5月18日
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Happy Fathers Day daddy! Love from Paris ✌????. #nzfathersday
母親は、純栄(スミエ)さん。
元JALのCAだそう。
やっぱりお母様とオニール八菜さん、美人で似ていますね。
彼氏や恋人についても調べてみましたが、情報として出てきませんでしたね。
バレエにまっしぐらで、今はそういうお相手はいないのでしょうか?
オニール八菜のバレエ経歴
オニール八菜さんは、1993年に東京都世田谷区に生まれます。
ニュージーランド人の父、日本人の母を持つ彼女は、天真爛漫で体を動かすことが大好きな少女だったそう。
彼女は3歳から、岸辺バレエスタジオにてバレエを習い始めます。
父親はラグビー選手で、日本に初めてラグビーをしにやってきた外国人として有名な選手でもあったのです。
しかし父親のラグビー引退を機に、オニール八菜さんが8歳のときに故郷であるニュージーランドに移り住みます。
故郷でも、バレエを続けたかったオニール八菜さんは、マウント・エデン・バレエ・アカデミーに通い始めます。
現地のバレエ教室に入った際には、あまりにもバレエが上手すぎたことにより教室の生徒やその親などから嫌がられせを受けますが、当時のこの苦労があって成長しました。
その後も長期休暇を利用して日本に訪れては、学校やバレエ教室にも足を運び、コンクールにも積極的に出場していました。
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- 2007年…ユースアメリカグランプリで好成績をおさめる
- 2008年…オーストラリアバレエ学校入学
- 2009年…ローザンヌ国際バレエコンクールにて1位獲得
- 2011年…オーストラリアバレエ学校を首席で卒業
- 2011年…パリ・オペラ座とシーズン契約を結ぶ
- 2013年…パリ・オペラ座に正式入団
- 2016年…バレエ界のアカデミー賞といわれるブノワ賞受賞(日本国籍を持つバレエダンサーがブノア賞を受賞するのは二人目)
ここまでの経歴を見ても、とんとん拍子にバレエの才能を認められていくオニール八菜さん。
中でも注目を集めたエピソードと言えば、2009年のローザンヌ国際バレエコンクールでのこと。
パキータのバリエーションを踊る彼女のトウ・シューズの紐がほどけてしまうというハプニングが起こります。
これでは普段の通りの踊りはできないのは目に見えていますね。
そのとき彼女は、美しい姿を保ったまま舞台袖にはけていったのです。
自然に袖に引っ込んだので、観客からは拍手が起こったりもしていました。
しかし、オニール八菜さんはとっさの判断で一度舞台袖に戻り、もう一度やり直しをさせてもらうよう願い出たのです。
大舞台でこのようなハプニングが起こったとき、瞬時にこのような冷静な判断ができるというのはとてもすごいこと。
トウ・シューズの紐がほどけても、無理して踊り続けてしまったりする人も多く、気が動転して冷静な判断ができないことのほうが多いのでは?
観客には、美しい姿しか見せないことを徹底したオニール八菜さんの対応は、とても評価が高かったようです。
さらに、このようなハプニングに見舞われたにも関わらず、結果は優勝。
突然の出来事にも冷静に対応し、逆境をものともしない精神力もやはり、実力のうちなのだろうと思います。
以下、ローザンヌ第1位のときの踊りです。
また、パリ・オペラ座に入団後も着々と階級を上げていくのですが、そこでは壁にぶつかることも多かったようです。
日本人とニュージーランド人の家系に生まれた彼女は、オペラ座の中では言葉の壁もあったために周囲のダンサーとのコミュニケーションが難しく感じたこともあったといいます。
さらに、オーストラリアバレエ学校のバレエは「ワガノワ・メソッド」といい、ロシアのバレエ流派。
反対にパリ・オペラ座はフランスの流派であるため、その違いにも最初は戸惑ったそうです。
このような苦難も明かしていますが、正式にパリ・オペラ座に入団してからも、さらにとんとん拍子に才能を開花していきます。
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- 2013年…パリ・オペラ座正式入団。カドリーユになる。
- 2014年…コリフェに昇格
- 2015年…スジェに昇格
- 2016年…プルミエールに昇格
パリ・オペラ座バレエ団のダンサーの最高位「エトワール」に昇進する日も近いのではないでしょうか?
パリ・オペラ座のドキュメンタリー映画に出演
「パリ・オペラ座 夢を継ぐ者たち」では、356年という長い歴史をもつパリ・オペラ座の舞台を、若手バレエダンサーに引き継いでいく様子を追った映画。
継承される側である若手ダンサーとして、オニール八菜やアマンディーヌ・アルビッソンさんが出演されています。
ドキュメンタリー映画ならではの、実際の過酷なレッスンの様子や、ダンサーたちが課題に立ち向かう様子などに注目してみてください。
美しい舞台を作り上げるには、裏でこのような血のにじむ努力が隠されているのだと知ると、作品を見るときの観客としての意識も変わってくるでしょう。
バレエダンサーとしてのオニール八菜の魅力はどこ?
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オニール八菜さんの魅力は、やはり恵まれた体型とそれをしっかり操る実力です。
172cmと長身の彼女は、その体をしっかりコントロールし、ひとつの表現力に変えています。
実際に、有名なバレエ評論家からも「ジゼルのミルタ女王」「白鳥の湖のオデット(オディール)」などの役に最適な恵まれた体型を持っていると絶賛されています。
そして、彼女の人柄・性格といったものが踊りに現れているということも感じます。
オニール八菜の恩師、岸部光代さんは
「彼女は賞をもらうことで、慢心するような子ではない」と話しています。
また、森下洋子さんはオニール八菜さんの踊りについて、
「きちんとしたたたずまい、感じのよい踊りだ」とコメント。
これらは、彼女の踊りに人柄やその性格がにじみ出ているからこそ、評価されたのではと考えます。
バレエは体操とは違い、テクニックに個性的な表現力をプラスすることがとても大事です。
同じようなレベルの技術を持ったバレエダンサーでも、顔の表情が少し異なるだけで印象はだいぶ変わります。
それぞれの演じたいイメージが違うことによって、周囲の評価も変化します。
オニール八菜さんへのこれだけの評価の高さには、内面からくるものも少なからず影響していると思うのです。
また、これからのオニール八菜さんの伸びしろにも期待が大きいと思います。
これだけのスピードでプルミエールに昇格しましたが、ここから先のバレエダンサーとしての人生はまだまだ長いでしょう。
わたしがオニール八菜さんのコメントとして印象に残っているものは、
「パリオペラ座でエトワールへの昇格を目指していたころには、昇格するだけでは仕方がない、役作りに励んでとにかくたくさん踊りたい」
というものです。
また、ブノア賞受賞後しばらくしてからのインタビューでは、「自分のメゾンはオペラ座である」とコメントしています。
幼いころの執拗な嫌がらせにも耐え抜いて好きなバレエを継続した不屈の精神力が、オニール八菜さんの実力を作り出したのでしょう。
オニール八菜の動画やyoutubeと出演DVD、本などの紹介
https://youtu.be/Hon9uIdzyuc
上は、チャコットのレッグウォーマーとニットについてのインタビュー。
下のインタビューは英語ですが、とても見応えがあるインタビューですので、ぜひ見てほしいです。
オニール八菜のインスタにも注目
以下、オニール八菜さんの公式instagramです。
素敵な写真がたくさん載ってますよ。
ぜひフォローしてみてください。
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様々なイメージモデルに起用されています。
その美貌とバレエダンサーとしての魅力が様々な方面から評価されているのか、多くの企業のイメージモデルやキャンペーンに起用されています。
チャコット、伊勢丹、ピアジェ、ディオールなど、そうそうたるところです。
雑誌にも登場することも多いオニール八菜さん。
今後も、その活躍から目が離せませんし、応援させて頂きたいなと思います。
オニール八菜関連グッズの紹介
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海外で活躍している日本人ダンサーは彼女の他にもたくさんいるのよ。
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