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[voice icon=”http://ballet-ambre.com/wp-content/uploads/2017/10/mikiko.jpg” name=”ミキコ” type=”r icon_red”]こんにちは、ミキコです。
今回は、パリ・オペラ座のエトワール、オーレリ・デュポンをご紹介します。[/voice]
ダンサーとしては既に引退し、現在はパリ・オペラ座で芸術監督を務めています。
しかし、今度の世界バレエフェスティバルでは、ダンサーとしての出演が決まっていて、まだダンサーとしても十分活躍できる方です。
パリ・オペラ座で学び、活躍した彼女は、時に好みが分かれることもありますが、国民的バレエダンサーであることは間違いありません。
そんな彼女の生い立ちと魅力を、今日は解説します。
■目次
オーレリ・デュポンの生い立ちと経歴
オーレリ・デュポンは、1973年1月にパリで生まれました。
最初は体操を習っていましたが、体操教師に勧められ、10歳でパリ・オペラ座付属バレエ学校に入学し、バレエの道に入ります。
1989年、16歳の時にパリ・オペラ座バレエ団に入団。
2年後の1991年にコリフェ、翌年にスジェへと順調に昇進します(注※)。
そして1992年、ヴァルナ国際バレエコンクールのジュニア部門で金メダルを受賞します。
1996年にプルミエール・ダンスールに昇格。
1998年、ルドルフ・ヌレエフ演出の『ドン・キホーテ』で主演を務め、その公演後、バレエ団のトップである、エトワールになりました。
ダンサーとしては、マニュエル・ルグリとのパートナーシップが特に評判が高く、ほとんどの公演をこのペアで踊っていました。
その後、2度の出産を経て、2015年、42歳で引退するまで、エトワールとして走り続けました。
(42歳で引退したのは、パリ・オペラ座のダンサーとしての定年が42歳であるため)
アデュー公演(引退公演)が行われたのは、2015年5月18日のことです。
演目は『マノン』。
彼女は『椿姫』が得意でしたが、既に別のダンサーがアデュー公演で上演していたため、重複をさけるため『マノン』になったとの噂があります。
ダンサー引退後、バレエマスターに就任しました。
その後、2016年2月に、振付家バンジャマン・ミルピエの後を受け、パリ・オペラ座の芸術監督に就任し、現在に至ります。
フランスは、下から以下のような階級になっています。
カドリーユ:群舞。いわゆるコールドの方です。
コリフェ:群舞の中心。群舞の中のセンターを担ったり、ソロのようなパートがあります。
スジェ:バリエーションを担当します。
プルミエ・ダンスール/プリミエール・ダンスーズ:
バリエーションの中でも、主役に近い役どころを担います。
フランス語なので、男性の場合は、ダンスール、女性の場合はダンスーズとなります。
エトワール:主役級のダンサーです。元は、フランス語で星、という意味です。[/aside]
オーレリ・デュポンのダンサーとしての魅力はどこ?
フランスの国民的ダンサー
オーレリ・デュポンの魅力は、何と言っても演技力と存在感でしょう。
彼女の演技は人を惹きつけ、舞台に彩りを与えます。
「マノン」や「椿姫」に見られるように、クルクルと変わる彼女の感情表現には目を奪われます。
彼女のアデュー公演では、最後の舞台、そして円熟した彼女の踊りを観ようとファンが押し寄せ、2000超える会場の席が満席になりました。
更に、劇場に入れないファンのために、フランスでは各地の映画館でライブビューイングが行われました。
彼女が世界に愛されていた証に、彼女の生き方に関わる出版物も多くあります。
「オーレリ・デュポン 輝ける一瞬に」は、現役ダンサー時代の3年間を追ったドキュメンタリー映画です。
デュポンはもちろん、パートナーのルグリらバレエ団のメンバーも登場し、舞台映像やリハーサル、さらには妊娠・出産の軌跡も追います。
この映画を通して、彼女のストイックな一面や、茶目っ気のある人間性に魅力を感じた人も多くいます。
もう1つは、「オーレリ・デュポン 美しきパリ・オペラ座エトワール」という本です。
こちらは舞台写真と、周囲の人々のコメントで彼女の半生を振り返っています。
また、ダンスマガジンでの連載も完全収録されています。
日本のバレエファンの評価
一方で、ロシアやイギリスのクラシック・バレエに慣れた日本では、ザハロワやコジョカルのようなダンサーの方が人気なようです。
ボリショイ・バレエ団に代表されるように、ロシアバレエは古典作品がメインです。
そこでは、華奢なダンサーが、華やか且つ美しい世界を作り上げます。
日本では、こちらの方がバレエのイメージとして強くあります。
しかしパリ・オペラ座のバレエは、コンテンポラリーの比重が大きいのが特徴です。
コンテンポラリーには決まった型が無く、作品では、しばしば強いネガティブな感情の表現が求められます。
模範的なポーズや形が決まっていて、様々な感情が美しく昇華されたクラシック・バレエとは、踊り方も表現方法も全く異なります。
そのため、クラシック・バレエのイメージでデュポンのバレエを見たとき、日本人には物足りなく感じることがようです。
また、バレリーナにしてはしっかりした体格に、違和感を覚える人も多いようです。
実際、作品のレビューを見ていても、「優等生、物足りない」、といった声は散見されます。
個人的総評
[voice icon=”http://ballet-ambre.com/wp-content/uploads/2017/10/mikiko.jpg” name=”ミキコ” type=”r icon_red”]以下は私見ですので、そういう見方もあるのか、ぐらいに思って頂ければ幸いです。[/voice]率直に言って、最初に彼女のオーロラやキトリを観たときには、物足りなさを感じました。
どこか無難で、単調な感じがしてしまったのです。
例えば、名パートナー、ルグリと踊った「眠れる森の美女」はこちら。
しかし、「マノン」を見て、それが一変しました。
揺れ動きながら男性と恋の駆け引きをする、等身大の女性がいます。
まるでドラマを見ているかのように動きが自然です。
そして、しなだれたり、ツンとしたりと感情がとても豊かで、人間味溢れる姿が表されています。
この違いは、どこから来るのでしょう。
クラシック・バレエでは、同じ曲中は、あまり感情が揺れ動きません。
例えば結婚式ならグラン・パ・ド・ドゥの4曲で幸せを表しますし、白鳥の湖の2幕のように、オデットが自らの境遇を説明する時には、悲しみや儚さが1曲かけて表されます。
しかし、「マノン」では、1曲の中で感情が揺れ動きます。
魔性の女らしく、クルクルと表情を変え、相手を翻弄します。
デュポンの魅力は、こうした瞬間瞬間で心の動きが移り変わるような作品で発揮されるのだと思います。
よく、表現力がある、とも言われていますが、わたしは演技力が高いのだと感じています。
まとめ
パリで生まれ、パリ・オペラ座一筋で活躍してきたオーレリ・デュポン。
他のダンサーが複数の国やバレエ団を経験することが多い中で、特異なキャリアを築いています。
パリ・オペラ座の精神が根付き、体現されているからこそ、好みが分かれると思いますが、同じところで一貫して経験を積んだからこその魅力もあります。
ダンサーとしては引退してしまいましたが、芸術監督としての道は歩み始めたばかり。
パリ・オペラ座がどのように変わっていくのか、楽しみですね!
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