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吉田都の凄さや魅力、経歴を調べてみました。【究極の舞姫】




日本を代表するバレリーナ、吉田都さん。
現在50代。

英国ロイヤル・バレエ団などで最高位のプリンシパルを22年間つとめた、まさに日本が世界に誇るダンサーです。

吉田都さんが好きで人間的に憧れています。
知ったきっかけは、だいぶ前に吉田さんが特集されたTV番組の視聴で、1時間ほどのその番組に釘付けになりました。

そんな吉田都さんの経歴や、踊りの魅力ついて調べてみました。

■目次

吉田都の経歴

幼少期からローザンヌ国際バレエコンクール入賞まで

1965年10月28日、東京都国立市に、地方公務員の父と、専業主婦の母の間に、二人姉妹の妹として生まれました。
特別に変わった生い立ちを持った人ではありません。

1974年、9歳の頃にバレエに出会います。
石沢秀子さんが主催するスタジオでバレエをはじめ、1981年には全国舞踊コンクールのジュニア部門で第1位を獲得して期待を集めました。

石沢さんの勧めもあって港区にある名門・松山バレエ学校へと移籍。
その後、学業とバレエを両立しながらトレーニングを積みました。

この学校に通っているあいだ、松山バレエ団の公演で舞台に立っています。

そして1983年、高校2年生で人生の転機がやってきます。
ローザンヌ国際バレエコンクールのスカラシップ賞を獲得したのです。

ローザンヌ国際バレエコンクールとは、スイスで毎年開催される15歳〜18歳のアマチュアしか参加資格を持たないコンクールのことです。
トップレベルのバレエダンサーが数多く受賞しているため、プロになるための関所の一つと見られています。

ここまでの経歴を見ると、アマチュアの世界大会でも受賞歴がある日本のバレエ・エリートという印象を持つと思います。

バレエの技術がまだまだなわたしから見れば、努力すれば結果がついてくる才能に恵まれた幸運な人にも思えます。
しかし、世界的に成功するまでのドラマはこれから本格的に始まりますし、多くの人から尊敬を集める人柄もこれから見えてきます。


若手の登竜門を突破した彼女は、英国のロイヤル・バレエ学校に入学しました。
ここでもすぐに確かな技術で頭角を現しました。

英国ロイヤル・バレエ団といえば、パリ・オペラ座(フランス)マリインスキー・バレエ(ロシア)とともに「世界3大バレエ団」に数えられています。
そんな英国ロイヤル・バレエ団の付属校へ入学することとなったのです。

学校はロイヤル・バレエ団と同じ場所にありました。
世界的なバレエ団に所属する、プロのダンサーの存在を肌身で感じながら、見知らぬ土地で研鑽を積む日々。

今と比べて海外の学校へ留学する人は少なく、ロンドンも過ごしやすい環境ではなかったそうです。
言葉や食事で苦労しましたし、バレエのレッスンの違いにも戸惑いました。

普通の人なら挫けそうな環境でも、しなやかな心で負けないことが吉田さんの特長です。

芸術に対する感受性や、身体的なハンデは静かに受け入れて、レッスンや語学など努力でカバーできるところを一生懸命に努力しました。
これがわたしがいくつになってもできずによく自己嫌悪に陥ることで、実行して成果をあげている人に憧れる理由です。

英国ロイヤル・バレエ入団、そしてプリンシパル(主役)へ

ロンドンの街並み入学からわずか1年後には、サドラーズウェルズ・ロイヤル・バレエ団(現在のバーミンガム・ロイヤル・バレエ団)への入団が決まったのです。

入団から4年後にはサドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエ団のプリンシパルになり、それから7年後にはロンドンのロイヤル・バレエ団にプリンシパルとして移籍しました。

バレエの世界的名門、英国ロイヤル・バレエ団への入団(1995年バーミンガムから移籍)。
芸術監督のピーター・ライト卿に、確かな実力を認められてのことでした。

そこで芸術監督を務めいてたピーター・ライトさんからの指導に刺激を受けて、吉田さんのバレエは大きく成長しました。

技術的には高水準であるものの、自己表現が苦手な吉田さんに、ハイレベルな要求をし続けて才能を開花させたのです。

ライトさんの指導のもとで成長を遂げられたのは、吉田さんの素直な心、バレエへの情熱があったからだと思っています。

指導者に辛くあたられると、反抗的になって指導とは逆のことをする人も少なくないです。

しかし、吉田さんはライトさんの指摘の妥当な部分や、自分の課題を真っ直ぐに見つめていたから必死でついていって才能を開花させたのだと思います。

若い時期にバレエやその他スポーツに熱を入れた経験があるわたしですが、合わない指導者の言うことはまったく聞きませんでした。
ストレスを感じても相手の言うことをしっかり聞いて、正しいことは認めるという姿勢が成功には欠かせないのだと痛感させられます。

ローザンヌ国際バレエコンクール入賞、英国ロイヤル・バレエ団でプロのバレエ・ダンサーに。
その卓越した技術で、自らのキャリアを切り拓いた吉田都さん。

一流のバレエダンサーであると、世界の誰もが認めるところへ登りつめたのです。

英国にはバレエのみならず、演劇やミュージカル、絵画や建築など、多くの分野の芸術において、長い歴史があります。

英国という土地の成熟した文化と、彼女自身のたゆみない努力によって、バレエ作品への深い理解と優れた表現力が磨かれていったのではないでしょうか。

1988年、最高位のプリンシパル(主役)に抜擢されました。
プリンシパルは、常にバレエ・ダンサーの目標です。

プリンシパルとは主役しか踊らない階級のダンサーを指す言葉のことで、これはプリマバレリーナと似た意味を持っています。

ロイヤル・バレエ団の、たくさんの実力あるダンサーたちがプリンシパルの座を狙っているのです。
プレッシャーは計り知れません。

厳しくも最高の環境で彼女は優れた演出家と出会い、すばらしい作品を生み出していきます。


重力から解き放たれた究極の舞姫!吉田都の踊りの魅力とは?

1988年から2010までという超長期にわたり、計22年もイギリスの二つの名門バレエ団でプ最高位のプリンシパルとして舞台に立ち続けた吉田都さん。

ところが彼女は身長は159cmと小柄で、海外のダンサーのようなスラリと伸びた長い手足も持っていません。
バレエ・ダンサーとして、決して恵まれた体格ではないのです。

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でも、その踊りには、観る者を引きつけてやまない魅力があります。

吉田都の踊りの特徴を3点挙げてみました。

精神面のすごさについて述べてきましたが、もちろん吉田さんの踊りに対しても魅力を感じています。踊りの特長は手足の動きが正確で、

筋力がとても強いのでポジショニングが美しい

見た目がとても細いのに筋力が尋常でなく、年を重ねても難しいバリエーションを行った際のポジションがとても美しいことに定評があります。
つまり、「強い」ということです。

これは人生のほぼすべてをバレエに捧げているからでしょう。

筋肉トレーニングだけでなく入念にも入念な日々のストレッチ、体を冷やさない心掛けから毎日の食事内容までを徹底的に可能であることをできうる限りやる彼女の完璧主義と努力の賜物です。

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脚の動きが正確無比

脚の主に膝下を細かく動かして前後に移動するバレエの可憐さを表現するときに、他の誰よりも細かく刻み、かつ脚の動きがきっちり観るものに見える程正確無比です。

本人の意志によって精密コントロールされています。

これも、脚の筋力の他に体幹が人並外れて強くなっていなければふらつきにつながり、できません。

精密にコントロールされたターンやステップは観るものを魅了してやみません。

夢のような浮遊感のあるバレエ

年齢が上がっても「ロミオとジュリエット」のジュリエットのような若い娘役をこなせます。
その他にも数多くのスタンダードな作品で主役を踊り、また、重力を感じさせない高度な技術によって、軽やかな少女や妖精の役も演じました。

それほど手先の演技や、内面から滲み出るような感情豊かな表現で年齢を超越できるともすればはかなげとも見える可憐なバレエです。

これは日本人特有の性格の細やかさから来ているのではないかとか、欧米のバレエダンサーには真似できないとよく評されています。

40才になった彼女が、設定は十代の乙女をやってもなんの違和感も無い程に、彼女の役の内面の理解に基づくカラダの末端と独自の美意識で見せつける夢のような浮遊感のあるバレエは唯一無二とも言われます。

彼女は、舞台という空間を自在に操ることができるカラダを持っているのです。

全然ぶれないので、まるで夢を見ているような気分になり、ストーリーの中に簡単に入っていけます。
またアクションが大きいのも魅力的で、小さい体をカバーするダイナミックな動きに人生に対する情熱を感じるのです。

吉田都の特集番組の感想。

冒頭に書いたTV番組を観て思ったことを少し書いてみようろ思います。

その番組では吉田さんをバレエ界の野茂英雄という比喩を使って紹介していて、野球経験のある私はその一言でこの人の偉大さを理解しました。

「ただ日本人バレエダンサーの世界への扉を切り開いていっただけでなく、ハンデと戦いながら成功を収めたことも感動的です。手足が短いから世界の舞台を諦めようと思ったことはないか」という質問がありました。

失礼な質問だと思ったのですが、吉田さんは笑顔で悩んだ経験を明かしつつ、諦めて他の方法で魅せることを考えたと言っていました。
物事を成し遂げるのに必要な精神的な強さを持った人なのです。

永久保存版!吉田都が出演する英国ロイヤル・バレエ団名作3選

ロメオとジュリエット」ジュリエット役

1994年に皇太后(クイーン・マザー)の生誕記念公演が開催されました。
その際に皇太后とマーガレット王女の前で、このジュリエット役を演じました。
そして、2010年に自身が英国ロイヤル・バレエ団を退団する際にも上演された演目です。

くるみ割り人形」こんぺい糖の精役

金平糖の精の踊りは必見。
正確な技術と豊かな音楽性によって、柔らかくたおやかなパ・ド・ドゥです。
ピーター・ライトによる演出も見どころ。

「オンディーヌ」オンディーヌ役

https://youtu.be/EoxBZBYIeyc

オンディーヌは水の妖精、人間の男と恋をして結ばれますが、最後には悲しい結末が待っています。

監督・振付のフレデリック・アシュトンは、現在のロイヤル・バレエ団を作り上げた立役者でもあります。

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その他『白鳥の湖』『ドン・キホーテ』『眠れる森の美女』『ジゼル』『コッペリア』『シンデレラ』『ライモンダ』など、数多くの作品に出演し、高い評価を受けています。

ロイヤル・バレエ退団、そして未来へ

2010年にロイヤル・バレエを退団。

吉田都さんの実力は、バレエの本場「イギリス」日本人にはアウェーにも関わらず22年間もトップで居続けたことでいかに揺るぎ無いものか分かります。

現在はイギリスから日本へと拠点を移し、フリーランスのダンサーとなった吉田都さん。
チャリティー公演を行うなど、精力的な活動を続けています。

日本で年に一度開催されている「バレエの饗宴」でも、彼女の出る回と出ない回ではチケットの売れ行きがだいぶ違うようです。

2020年9月には新国立劇場・舞踊部門の芸術監督への就任が見込まれるなど、これからも活躍にも目が離せません。

いろは
吉田都さんのエッセイ「バレリーナ 踊り続ける理由」の感想は、下の記事をよんでみてくださいね。

「バレリーナ踊り続ける理由」吉田都を読んだ感想を書いてみました。

7月 31, 2018

吉田 都 一瞬の永遠 英国ロイヤルバレエ・プリンシパルのすべてを読んだ感想。

12月 27, 2018



3 件のコメント

  • >それほど手先の演技や、内面から滲み出るような感情豊かな表現で年齢を超越できるともすればはかなげとも見える可憐なバレエです。

    はじめまして。
    その昔あるテレビ番組で、天地真理さんの「水色の恋」に合わせて、水色の衣装を着た若いバレリーナが踊っていました。
    私はバレエは殆ど見ないのですが、その時見た踊りにとても感動した記憶があります。可憐で、愛しく感じるような表現でした。そのバレリーナが多分、吉田都さんだったと思います。初めて見て、それきりなのに何故か名前を記憶し、忘れませんでした。記憶に残る表現が出来る方なのでしょうね。

  • 追伸 
    天地さんは、吉田さんがプロデビューされる前の歌手ですが、吉田さんがバックで踊ったのは、現役時代の天地さんではないと思います。吉田さんに確認出来たらよいのですが。

  • ちいさん、こんにちは。
    コメントありがとうございます😊

    天地真理さんの「水色の恋」でバレリーナが踊っていらっしゃったのですね。
    吉田都さんなのでしょうか?

    吉田都さんの踊りは本当に美しいですよね。

    またブログに遊びに来てください。
    どうもありがとうございました。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    こんにちは、ミキコです。 小学1年生〜高校2年生までバレエを習っていました。 一旦はやめたものの20代半ばで再開し、今は週3回レッスンを受けています。 バレエの面白さをもっと知ってもらうために、このブログを書いています。